昨今の状況により、移動を制限してきたため、数ヶ月の間、病院の紹介状をかかえていました。コロナ感染の減少傾向を鑑み、先週、金沢大学附属病院の脳神経外科と整形外科を受診してきました。診断の結果、腫瘍左下垂体という脳の中心部に、大きな腫瘍があり、人を動かすためのさまざまな神経に悪影響を及ぼし、右目の視力を失う可能性が高いとのことでした。

さらに、腫瘍の膨らみは左右非対称で、両目を失明する前に、手術対処をする必要があるということでした。一方、これまでに、エビデンス(研究結果)がなく、お医者さんも勉強が必要ということでした。驚くべき事実は現在、見えている状況が凄いことのようです。お医者さんとこんなやりとりをしました。

先生 見えていなくても不思議ではありませんが、今見えているようですね

成嶋 奇跡みたいなものですね

先生 本当にそうです

参考までに、私にはマフィッチ症候群(Maffucci syndrome)という病名がついています。片側に多発性の軟骨腫Ollier(オリエール)病、それに血管腫を合併するとMaffucci(マフッチ)症候群といいます。手や脚に腫瘍があり、おそらく頭にある腫瘍もその一部であると考えています。実際、MRIの画像診断では、腫瘍は脳の片側に膨らみがあり、圧迫している状態でした。

さて、前置きが長くなりましたが、ここからが本題。僕の好奇心旺盛な特徴をいかして、会社員である傍らパラスポーツを中心に、さまざまなことに取り組んできました。ホームページやSNSの情報発信もその一つです。

景気の不安定さや、コロナ禍おいて、周りのヒトは辛く苦しい思いをしているところ、自分自身のやりたいことに対して、自己主張をすることへの葛藤もありました。人からの批判や、会社員としてのキャリアビジョンを描く上で合意形成できない障壁の不安も感じることがありました。自分自分の正義感や無知による行動によって、相手への理解が欠如し、加害者になってしまうことへの恐怖もありました。

そんな時でも、ポンと背中を押してくれるヒトたちがいました。とおるさんのやりたいことをやってほしいという言葉は、自分の信念と変化し、勇気を持って進むことが出来るようになりました。その声は現在も継続しており、一生忘れることが出来ない宝物とし、記憶に刻んでいます。

一方、社会では固定概念や無関心により、やりたいことへのフィールドを遮られてしまう現実があります。世界では女性の活躍、LGBTQ、人種差別など、長い歴史の中でも解決できない社会問題とし、定義されてきました。同時に、障がい者への理解も重くのしかかる状態です。

この文章を書き残しているバス停も小学生から「え。みてみて。脚がない人だ」と集団となり笑われているところです。これまでも興味対象の考察により、ヒトが傷つくことに対して、身を持って感じてきました。

特に、幼い頃とは違い、パラアスリートとし挑戦を初めて以降、障がいをオープンにしてきましたが、相変わらずグッと我慢することはあります。そんな気持ちの変化を変えたいと思い講演会という手法を利用し、児童との距離を縮めてきたのかもしれません。

僕は幼い頃、字を書く時は左利きでしたが、両親が世の中では不便なこともあるだろうと、障がいがある右手で書く訓練をしたそうです。可哀想だからと、障がいを使わないということではなく、あるものを積極的に使うという考えは、親の愛情だったと思います。その教育のおかげもあり、相手の背後要因を知る必要性を感じてきました。

子どもの頃とは違い大人になり理性・知性が養われると、年齢や役職いわゆるヒエラルキーだけで、ヒトの上下関を判断されてきました。人は何かと比べる生き物であることを実感しました。嫌なことを無理やりなかったことにする同調圧力も同じようなマインドだと思います。そんな中、それぞれの立場で社会を変えようと一生懸命に努力しているヒトたちと出会ってきました。

僕の夢や目標を応援し、サポートしてくれるヒトたちがいます。そのヒトたちは気持ちをセーブすることの大切さや、行動するタイミングや勇気を与えてくれました。その一環とし、パラスポーツのテクニックや経験、知識など無償の愛としていただきました。

体が不自由だろうと、病気に侵食されそうになろうと、僕が描く「超多様性」というビジョンは実現したいと思います。平均・最適化が求められてきた時代の中、マイノリティーとして生きる僕だからこそデザインできる社会があるのではないかと考えるようになりました。レバレッジ・ポイントは当事者意識にあると考えています。

もし、視力を失ったとして、建物や乗り物の空間、ファッション、絵画など、お金を払い価値を求めてきた捉え方が大きく変わると思います。例えば、肌の色や障がいを見られることへの精神的な苦しみも無くなることだと思います。

希少な病気により感じてきた僕の世界観をヒトに伝えることや、マイノリティーを尊重し、考えてサポートする生きやすい社会システムを本気で考えていきたいと思っています。その上ではパラアスリート(ルールを工夫し、平等に勝負する世界)として、高みを目指すことにより、出来ないことはないと証明するという根本的な考えがあります。

その延長線に、同じ病気で苦しむヒトと出会いクリエイティブなことをしたい、想像力が欠如した行動により傷つくことや、身体的特徴により排除される社会をなくすよう努めていきたいです。「自分を信じて強く生きる」を掲げてきたからこそ、突き進めると思います。

こんな話をすると、オカルトっぽくきこえてしまうかもしれないけれど、これを読んでくれた中には、共感し、自分のやりたかったことへ一歩踏み出してみようと行動するヒトもいるかもしれません。逆に、遠ざかってしまうヒトもいるかもしれません。それこそがヒトの考え方で、趣味・嗜好が合うコミュニティーではなく、好き嫌いがあり、フリーダムから相手を理解することができる人の本質の面白さだと思います。

最後に、まずはアカデミックにやってみようという思考でいられることは、気持ちがいいものです。ワクワクします。想像もしなかった世界。どれだけ生きてきたのかではなく、どういきていくのか。

大袈裟かもしれないけれど、そんなことを本気で考えています。 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

#これから病院にいく人の写真