いつも私、成嶋徹の活動を応援していただき、ありがとうございます。

今回は、大事なお知らせがあり、ご報告させていただきます。自分を信じて、強く生きる超多様性をテーマに、東京2020パラリンピック出場を目指し、挑戦を続けてきました。

2020年1月10日、相模湖にて東京パラ代表選考会が実施され、1枠(内、男性肢体)の出場権をかけ、エルゴメータータイム測定が行われました。その結果7分39秒 第3位となり、パラリンピック出場を果たすことができませんでした。

選考合宿で、敗れて…

2015年5月、パラ競泳選手として、本格的に競技を開始し、県内の大会や全国障がい者スポーツ大会で優勝。さらに、自分自身の可能性を求めて、2018年4月からパラローイングに挑戦してきました。2019年12月、公益社団法人日本ボート協会パラローイング委員会の定めるタイムをクリアし、2020年度育成指定選手となり、指定選手を対象にした東京パラ代表選考会へ進むことが出来ました。

残念ながら、選考会で敗退してしまいました。直前まで、ハンドルやステップなど障がいの特性に合わせて、エルゴメーターを父親と一緒に改良し、調整を進めていました。上位との差は、手が届く所まできていただけに、悔やまれます。

一方、出場する日本代表クルーや、勝ち進むことが出来なかった選手たちは、それ以上に努力を重ねてきたことを身をもって感じています。

周囲からは「本当に大丈夫」。

2018年8月、エルゴメーターのタイム9分5秒。当時を振り返ると、指定選手までのタイムは程遠い状況でした。特に、障がいの特性上、手足が短く、脚の膝が骨の関係で固定され、可動域が狭いという課題・問題点は、タイムにも大きく影響していました。前例がなく、見本もないため、関係者からも代表となるのは、難しいという話がありました。

昔から周囲を驚すのが好きな性格だったこともあり、最初から諦めることはせず、オリジナルの教科書を作っていこうと思いました。それを実現させてくれたのが、快く練習場所として受け入れてくれた琵琶湖ローイングCLUBのメンバーや、トレーニングの部屋の支援をしてくれたDOSAの皆さん。トレーニングや栄養面で支えてくれたWPP、 チーム成嶋の栄養士市川さん、どんな時も支えてくれた小学生からの同級生であり理学療法士として活躍する俊樹君。

さらには、競泳で共に戦ってきた仲間たちや、監督、コーチのおかげです。

競技に欠かせない装具を製作してくれた沖野スポーツ沖野さんの知恵とアイデアによって、可動域の問題もクリアしてきました。

パラスポーツを開始した当初、装具を履くことすら抵抗があり、自問自答していましたが、正反対の考えで、アスリートの自覚を考えるきっかけとなったパラ競泳の女性もいました。

最初は、会社に迷惑をかけるからと、反対しながらも、今では各地域大会へ応援にかけつけてくれ、良き理解者でもある両親や妹夫婦のサポートもありました。地域の練習場で出会った人たちが、私の背中を強く押してくれました。

そのおかげで、2019年11月、エルゴメーターのタイム7分30秒を出すことに成功し、見事指定選手となりました。

思い通りにならない時もある

今の率直な感想は、やって良かったという気持ちです。

ここまで一生懸命、挑戦しました。

人生をかけて、挑戦しました。

無我夢中で、毎日トレーニングをしました。

それでも、負けてしまいました。

合宿先の部屋で、前が見えなくなるぐらい、涙があふれ出てきました。

同時に、出場する日本代表クルーや勝ち進むことが出来なかった他の選手のこと、応援してくれた仲間のことが思い浮かび、パラスポーツの厳しさ、喜びや悲しみといった感情がこみあげてきました。

体育の授業を見学

トレーニングや練習環境は、本当に厳しかったです。しかし、そのプロセスには、悔いはありません。

幼い頃、いつも体育の授業は見学していました。

半袖・短パンの体育着に着替えること嫌でした。

常に、障がいを隠して、生活をしてきました。

大人になってから、その時の間を取り戻すような気持ちで、パラスポーツの時間を過ごしていたと改めて思います。立場も世間体も関係なく、自分の自己ベストのために追求するパラスポーツ。こんなにも魅力的なことがあったなんて、想像すら出来ません。

世の中の流れを鑑みると、大人になり社会の一員として活躍するため、スポーツを諦めざるを得ない人たちがいます。新聞やテレビでもアスリートが現役引退という話題が流れてきます。

その時代の流れと逆行するように、パラスポーツで夢を叶えるという、私の身勝手な目標に向かい、挑戦することが出来たのは、皆さんの支えや応援があったおかげです。

本当に、本当に、ありがとうございました。

「本音を言えば、このままパラスポーツを…」

今回、東京2020パラリンピックには、出場することができませんでしたが、最高峰であるパラリンピックは続きます。

本音を言えばパラスポーツを続けて、世界大会やパラリンピックを目指したい気持ちです。

しかし、東京2020年という舞台は世の中が大きく変化し、誰もが実感しているだからこそ、パラスポーツへの普及・理解が進み、私自身とても良い環境で過ごすことができました。

残念ながら、その舞台の出場権を獲得できなかったことは、今後競技を続けていく上において、限りなく困難な状況になってくることは事実です。相当な覚悟と信念を持って、戦っていかなければなりません。

それでも叶えたい夢があります。

自分自身に負けることなく、気持ちを切り替えて、新たな目標を設定し、挑戦を続けていきます。

自分だからこそできる事を考え、誰かのせいにするわけでもなく、自分で道を決める。その先に、人の役に立つことがあるかもしれない。

これから先に続く人生を想像すると、ワクワクします。

2020年1月24日 成嶋徹